従業員の「いびき・日中の眠気」にどう向き合うか|人事担当者のためのSAS基礎知識と社内勉強会の設計

会社が担えること・担えないことの境界線、法制度上の位置づけ、個人情報の扱い、時間別の勉強会構成まで。SASの社内勉強会を企画する人事担当者向けに整理します。
「睡眠時無呼吸症候群(SAS)について社内勉強会をやってほしい」と依頼されたものの、どこまで医学的な話をしていいのか、個人情報をどう扱えばよいのか、法的にどこまでが会社の役割なのか、が分からないまま企画を進めている人事担当者は少なくありません。中途半端な知識で進めると、「診断もどき」の説明をしてしまったり、逆に従業員の個人情報を必要以上に集めてしまったりするリスクがあります。本稿では、医学的な最低限の基礎知識、会社が担える役割の境界線、法制度上の位置づけ、そして時間別の勉強会設計までを、実務担当者向けに整理します。
SASについて、人事担当者が知っておくべき最小限の知識
SASは睡眠中に呼吸が止まったり浅くなったりする状態で、大きないびき、同居者からの呼吸停止の指摘、起床時の頭痛、夜間頻尿、日中の強い眠気などが「相談を検討するきっかけ」になります。ただし、これらの症状は単独でも組み合わせでも、SASであることを意味しません。いびきには単純性いびきという良性のものもあり、「いびき=SAS」ではないのです。
これらのサインの中でも、勉強会で特に強調する価値があるのが「睡眠中に息が詰まる感覚や、あえぐような呼吸で目が覚める」という症状です。いびきや日中の眠気に比べ、この症状はSASを疑う根拠として重視されており、本人が夜中に自覚しやすいという特徴もあります。限られた勉強会の時間の中で一つだけ覚えて帰ってもらうとしたら、この症状を挙げるのが実務上有効です。
重要なのは、日本呼吸器学会のガイドラインが、症状や質問票だけでは診断できず、客観的な検査が必要だと明記している点です。確定診断の標準はPSG(終夜睡眠ポリグラフ検査)で、自宅でできる簡易検査は、明らかな併存疾患がなく中等症以上のOSAが疑われる場合などに条件付きでPSGの代替として使われます。簡易検査は睡眠時間そのものを測らないことがあり、無呼吸低呼吸の頻度を過小評価する場合もあります。なお、簡易検査で算出される数値は、厳密にはPSGで得られるAHIとは呼ばず、REI(呼吸イベント指数)と呼ぶのが正確です。勉強会の資料でこの二つを混同して表記すると、後で医療機関の説明と食い違い、従業員の不信感につながることがあるため、社内資料を作る段階で用語を統一しておくとよいでしょう。つまり、社内勉強会で紹介する自己チェックや簡易検査は「医療機関につなぐための入口」であり、「SASを発見・診断する手段」ではないという整理が、勉強会の設計全体を貫く軸になります。
勉強会でよくある誤解が二つあります。一つは「太っていなければ大丈夫」という思い込みです。日本人は骨格的に顎が小さい、あるいは後退している傾向があり、肥満がなくても気道が狭くなりやすいことが指摘されています。体型を基準に「対象外」と判断しないよう、参加案内でも体型を条件にしない表現を心がけてください。もう一つは「眠くなければ大丈夫」という思い込みです。特に心疾患や不整脈などを合併している人では、検査上は重症であっても日中の眠気を自覚しにくい傾向が報告されています。「自分は眠くならないから平気」と考えている従業員こそ、実は見落とされやすい層である可能性がある、という点は勉強会で伝える価値があります。
会社が担えること、担えないこと
勉強会の企画で最も事故が起きやすいのが、この境界線の曖昧さです。会社が担えるのは、一般的な睡眠教育、本人だけが結果を見る自己チェックの案内、任意の検査・医療相談への費用補助や申込導線の提供、匿名の質問受付と非識別集計による組織施策の改善です。
一方で、会社が担うべきではないのは、質問票やいびき・眠気の申告からの診断や重症度判定、上司や人事による個人の検査結果・受診状況の収集や追跡、「SASらしい」ことを理由にした配置変更や評価への反映です。健康配慮と、会社による医学的な管理はまったく別のものです。特に一般的なオフィスワークでは、教育と本人の自律的な医療選択を中心に据え、運転や機械操作など安全上の影響が大きい職務については、産業医や主治医の意見を踏まえた個別の設計が必要になります。
法制度上、この施策はどう位置づけられるか
労働安全衛生法69条は、事業者に対して労働者への健康教育や健康相談などの健康保持増進措置を継続的・計画的に講じるよう求める努力義務です。これを具体化したTHP(トータル・ヘルスプロモーション・プラン)指針には、睡眠に関する保健指導が例示されており、睡眠教育はこの枠組みで説明できます。
ただし、注意すべき点が二つあります。一つは、一般的な睡眠セミナーが雇入時教育や作業内容変更時教育のような法定の安全衛生教育を代替するものではないこと。もう一つは、SASの簡易検査が定期健康診断の法定項目には含まれていないことです。労働安全衛生規則が定める法定健診項目には、既往歴、身体計測、血圧、血液・尿検査などが含まれますが、SAS質問票や家庭用簡易検査は含まれません。「会社の義務」「法定健診の一部」「受けないと不利益」といった説明は不正確であり、この点を勉強会の冒頭で明確にしておくと、参加者の誤解も防げます。
個人の健康情報は「会社が受け取らない」設計を基本にする
自己チェックの回答、簡易検査の結果、診断や受診・治療の状況は、要配慮個人情報に当たり得る健康情報です。個人情報保護委員会や厚生労働省の指針は、こうした情報を事業者が取り扱う場合、目的の明確化と本人同意を求めており、同意しないことを理由とした不利益取扱いも禁止しています。
実務上もっとも安全なのは、会社がそもそも個人の結果を受け取らない設計にすることです。医療機関や外部の実施機関が本人へ直接結果を返し、会社が受け取るのは、個人と対応づけられない統計的な集計だけにとどめます。集計レポートを設計する際は、対象者数や参加率は分母を明示したうえで示し、部署別や属性別のクロス集計は再識別のリスクを事前に検討し、少人数のグループ(目安として10人未満)は非表示にするといった配慮が必要です。「陽性者数」や「疑いのある部署」といった情報は、会社向けレポートの項目に含めるべきではありません。
勉強会の時間別設計
睡眠教育に「正解の時間配分」を示す強い研究的根拠はありませんが、実務上は次のような構成が扱いやすいとされます。
30分の場合は、目的と参加の任意性の説明に3分、睡眠の基本知識に7分、SASのサインと非診断性の説明に7分、自己チェック・簡易検査の限界に6分、相談導線と個人情報の扱いに5分、質疑に2分という配分が最小構成です。個人の回答をその場で回収することはしません。
45分の場合は、SASのサインだけでなく多様な原因(肥満以外の要因も含む)の説明や、検査から医療評価までの流れの説明に時間を割けます。
60分の場合は、セルフチェック後の短い振り返りの時間や、本人が次に取れる行動(相談先の確認など)を考える時間まで確保できます。
いずれの構成でも、Q&Aは匿名フォームを基本にし、個人が特定され得る質問や回答を録画・記録に残さないことが重要です。事前・事後アンケートも、「相談先を知った」「検査の限界を理解した」といった非臨床的な項目に限定し、症状や受診歴を会社側のアンケートで尋ねることは避けます。
伝え方一つで参加者の受け止め方が変わる
睡眠やSASのリスクを伝える際、「放置すると危険です」という脅し寄りのメッセージだけを強調すると、かえって参加者が話を遠ざけてしまうことが知られています。恐怖を伝えるメッセージは、同時に「自分にも実行できる対処法がある」という情報とセットでなければ、回避行動や防衛的な反応を招きやすいという知見があります。勉強会では、リスクの説明と同じ分量で、「相談先がある」「結果は会社に伝わらない」「原因は睡眠不足以外にも複数あり、自己診断する必要はない」という安心材料を必ず添えるよう設計してください。
行動を促す工夫としては、「もし家族から呼吸停止を指摘されたら、本人専用の窓口で相談先を確認する」というように、具体的な状況と行動をあらかじめ結びつけておく方法も有効とされています。これは医学的な自己診断のルールではなく、行動を起こしやすくするための工夫です。
安心材料として補足しておくと役立つのが、治療のハードルに関する制度の変化です。令和8年度の診療報酬改定でCPAP治療の保険適用基準が緩和され、以前より軽い段階から治療を検討しやすくなりました。「相談しても治療の対象にならないかもしれない」という不安から相談自体をためらう従業員もいるため、こうした情報を勉強会で紹介することは、恐怖訴求に頼らず行動を後押しする一つの材料になります。また、通院の負担を理由に受診をためらう従業員には、オンライン診療で自宅から検査や継続的な相談ができる仕組みが広がっていることも、選択肢として伝えられます(ただしオンライン診療への移行には、対面診療で症状の改善が確認されていることなど一定の条件があり、いきなりオンラインだけで完結するわけではない点も併記すると誠実です)。ここでも、具体的な数値基準や算定条件の説明は会社ではなく医療機関に委ねる、という役割分担を崩さないことが重要です。
社内勉強会・簡易検査を実施している企業の例
睡眠に関する社内教育や検査補助を導入している企業・健康保険組合の例として、コンサルティング企業が2023年から2024年にかけてウェアラブル機器やオンライン助言を用いた睡眠改善の実証を行った例や、健康保険組合が定員1,000人規模のオンライン実践セミナーの中で睡眠をテーマの一つとして扱った例、「働く人が知っておきたい睡眠マネジメント」という切り口でオンライン講座を案内した健康保険組合の例があります。いずれも公開情報からは参加率や検査の陽性率、効果測定の詳細までは確認できず、「同様の施策を行っている企業がある」という事実の確認にとどまります。自社の勉強会を設計する際の参考にはなりますが、他社の実施実績を効果の保証として引用しないよう注意が必要です。
避けるべき言い回し
勉強会で使う説明文には、「いびきがある人はSASです」「自宅検査でSASを確定診断できます」「会社が従業員の睡眠リスクを把握します」といった表現を含めないようにします。代わりに、「いびきや日中の眠気は、医療相談を検討するきっかけの一つです」「参加・検査は任意で、個人結果は会社に共有されません」といった、任意性と非診断性を明示する表現に置き換えます。この言い換えだけで、従業員の安心感と、会社側の法的リスクの両方が大きく変わります。
まとめ
SASに関する社内勉強会の設計で問われているのは、医学的な専門性そのものよりも、「会社が担う範囲」を正しく線引きできるかどうかです。教育と任意の相談導線を用意し、個人の医療情報は受け取らず、匿名集計だけを組織改善に使う。この基本設計さえ押さえておけば、法的リスクを抑えながら、従業員が安心して一歩を踏み出せる勉強会を企画できます。
勉強会の企画・監修から、任意検査の導線設計まで
SAS基礎知識の社内勉強会の監修や、個人結果を会社が受け取らない設計での任意検査・受診導線の構築を、法人向けにご案内しています。THP指針や個人情報の取扱いを踏まえた資料設計についてもご相談いただけます。
社内勉強会・法人向けプログラムのご相談はこちら →健康経営優良法人の認定と「睡眠」の関係を見る →睡眠とプレゼンティーイズム・生産性の関係を見る →よくある質問
Q. SASの社内勉強会は、法定の安全衛生教育の代わりになりますか?
A. なりません。雇入時教育や作業内容変更時教育のような法定教育とは別物であり、労働安全衛生法69条に基づく健康保持増進の努力義務の一環として位置づけられます。「受講が法律上の義務」という説明はしないでください。
Q. いびきや日中の眠気の自己チェックだけで、SASかどうか分かりますか?
A. 分かりません。日本呼吸器学会のガイドラインも、症状や質問票だけでは診断できず客観的な検査が必要だとしています。自己チェックはあくまで医療相談を検討するきっかけです。
Q. 会社は従業員の検査結果を確認してもよいですか?
A. 原則として避けるべきです。検査結果は要配慮個人情報に当たり得るため、医療機関や外部実施機関から本人へ直接結果を返し、会社は個人と対応づけられない統計的な集計のみを受け取る設計が安全です。
Q. 勉強会の時間は何分がよいですか?
A. 最適な時間を示す強い研究的根拠はありませんが、30分なら基礎知識と非診断性の説明を中心に、60分なら自己チェック後の振り返りや次の一歩を考える時間まで確保できます。目的に応じて選んでください。
Q. 勉強会や検査に参加しなかった従業員に不利益な扱いをしてもよいですか?
A. してはいけません。参加・検査・結果共有への同意はすべて任意であり、拒否や不参加を理由とした評価・配置への影響は避ける必要があります。
Q. 「痩せているから」「眠くならないから」自分は対象外、と考える従業員にはどう伝えればよいですか?
A. どちらも誤解です。日本人は骨格的な特徴から肥満がなくてもSASが起こり得ますし、心疾患などを合併している人は重症でも眠気を自覚しにくいことがあります。体型や眠気の有無だけで対象外と判断しないよう、勉強会で明示的に伝えることが有効です。
参考・出典
- 一般社団法人日本呼吸器学会『睡眠時無呼吸症候群(SAS)の診療ガイドライン2020』
- 日本循環器学会『2023年改訂版 循環器領域における睡眠呼吸障害の診断・治療に関するガイドライン』
- 厚生労働省『健康づくりのための睡眠ガイド2023』
- e-Gov法令検索『労働安全衛生法』第69条・第59条・第66条の10
- 厚生労働省『事業場における労働者の健康保持増進のための指針(THP指針)』(2026年2月10日改正)
- e-Gov法令検索『労働安全衛生規則』第43条・第44条
- 厚生労働省『労働者の心身の状態に関する情報の適正な取扱いのために事業者が講ずべき措置に関する指針』(2022年改正)
- 個人情報保護委員会『雇用管理分野における個人情報のうち健康情報を取り扱うに当たっての留意事項』
- 個人情報保護委員会『匿名加工情報に関するガイドライン』
- Tannenbaum MB, et al. “Appealing to fear: A meta-analysis of fear appeal effectiveness.” Psychological Bulletin, 2015.
- Robbins R, et al. “Workplace Sleep Interventions: A Systematic Review.” Sleep Medicine Reviews, 2021.
- 日本循環器学会 等『2023年改訂版 循環器領域における睡眠呼吸障害の診断・治療に関するガイドライン(JCS 2023)』(解剖学的リスク要因/循環器疾患合併時の眠気自覚の乏しさ)
- 厚生労働省『令和8年度診療報酬点数表』在宅持続陽圧呼吸療法(CPAP)導入基準の見直し(2026年6月施行)
- 厚生労働省『オンライン診療の適切な実施に関する指針(令和8年4月改訂版)』

